私事ですが、長年ウエイトトレーニングを続け、体つきはかなり変わりました。
たいていの人にはマッチョですねと言われ、外を歩けば、パッと見だと自分より筋肉ムキムキな人はなかなか見かけません。たぶん。
しかし、いまだボディビルトップ選手のようなバルクもなければ、体重の割にはパワーもありません。
トレーニングを開始したころと比べると明らかにマッチョになったのですが、国内トップビルダーと比べると、筋肉量、パワー、すべてにおいて天と地ほどの差がいまだにあるのです。
そこの差はどうして生まれるのでしょうか。
素質?
遺伝?
環境?センス?
邪推ともなれば、こっそりドーピング?ないない
いろいろ考えることはできたとしても、それが正しいのかどうかは誰にもわかりません。
むしろそう考えることで、自分が成長できないことへの言い訳や正当化になってしまっていては、マイナスでしかありません。
皆がそうではないかもしれませんが、トップ選手も元々マッチョなわけでもなければ、よい環境が整っているわけでもないと思います。
もともとはがりがりで食も細かった人が、誰にも負けないスーパーマッチョになっていたりもします。
僕自身はもともと食が細いわけでもなく、痩せてはいましたが、決してがりがりではありませんでした。
では一体、トップとの差はどうして生まれるのでしょうか。
データーがどうのとかそういう話ではなく、あくまで僕が感じていることですので、あしからず。
俺はマッチョになると言い切るマッチョたち
ボディビルに限らず、トップ選手はみな自分がその競技の一番になることを信じて疑わない。
「日本一になる」と周囲に公言し、数年後あっという間に実現させた選手もいます。
そういうことを口に出さなくとも、トップの選手のトレーニングは鬼気迫るものがあります。
一生懸命やっているようだけど、何となくこなしているようにも見える人は、トップにはおそらくいないでしょう。
また、
「いやー、マッチョになりたいけど、さすがに自分はそこまでは無理だと思う」
「そんなつもりはなかったのに、トップにまでなってしまった、どうしよう」
と自分にびっくりしているトップ選手もいないと思われます。
マッチョになりたいけどなれない、と思っている自分
自分はどうかといいますと、
「マッチョになりたい。」
「どこまでもマッチョになりたい。」
と思っています。
しかし、「マッチョにはなれると思うけど、さすがにトップレベルまでは無理だよな・・」本心はそう感じています。
上腕のサイズが50センチを超え、ベンチプレス200キロを上げている自分の姿など、欠片すらイメージできません。
全日本トップクラスに行けるかと聞かれれば、「そこまでは無理」と即答です。
間違いなく、それが僕の今の本心です。
行けるものならば行ってみたいとは答えるであろうに。
頭では「国内トップクラスのマッチョになる」「なりたい」そう願っているのだが、実際に自分がそうなった「強いイメージ」「はっきりしたイメージ」があるかといえば、正直、ありません。
あったとしても、イメージ力は弱いです。
もっともっとマッチョになりたいと思いつつも、心の奥底では
「さすがにそこまでは無理だろう」
「僕は国内トップビルダーにはなれない」
そう確信している自分がいます。
自分で「これ以上マッチョになるのは無理」と断言しているのです。
今よりマッチョになりたいと思っているにもかかわらず。
ここもまた、トップにたどり着いた人との違いだと思います。
これはボディビルや他スポーツに限らず、あらゆる分野でも同じことが言えるでしょう。
冒頭でも話しましたが、素質、環境、センス、それよりもトップとの差は「メンタル」にあると思います。
トップの人は、最初から「自分はトップになる」強いイメージを持っていたのかもしれませんが、挫折と失敗を繰り返しつつも、あきらめないで常に自分を強く信じ続けたかもしれません。
早々に「限界」と決めつけ、妥協したトレーニングを続ける人が、今以上に成長できるでしょうか。
僕は2022年、11年ぶりにボディビルコンテスト復帰した後からは長年の停滞を抜けてよくなってきているのですが、「それでもこの辺で限界だろうな」と決めてしまっているところはあると思います。
ましてやトレーニング歴20年で、45歳も過ぎた今からトップビルダーになぞなれるはずがないと。
今以上マッチョになりたいとは思うのですが、ここらで限界かな、と自分で決めているのです。
そんなつもりはないといいたいところですが、心の奥底ではおそらくそうなのです。
自分から、「今以上マッチョになる許可を出さない」のです。
そんなこと、トップの選手がするでしょうか。それで今以上にいい体作りができるのでしょうか。
引き寄せの法則
胡散臭い話になりますが、「なりたい自分の強いイメージ」の少し視点を変えて話をします。
「引き寄せの法則」というものがあって、自分の内面が現実に反映されるというもの。
イライラした状態で過ごすことが多ければ、将来的にイライラする現実を引き寄せる。
穏やかな気持ちで過ごしていれば、将来的に穏やかでいられる現実が引き寄せられる。
ここでその理屈については触れませんが、この世界、宇宙にはそういったからくりがあるといわれているようです。
そういうわけで、
「なった姿」を強くイメージすればするほど、その現実は未来に反映されていく。
そして、その「なった姿」に到達するための適切な行動を、自分の潜在意識が誘導してくれる。
強いイメージがあるほどに、そこに向かうためのルート(手段)がはっきりしてくる
というものです。
これは一つの例にすぎませんが、強いイメージを持つということは、未来へのカーナビを設定するようなものでしょう。
これが引き寄せの法則の簡単なルールです。
「なった姿」へのルートはトップ選手が示している
トップ選手はみな常人を超えたハードワークをおこなっています。
「素質があったからハードワークに耐えられた」といわれるかもしれませんが、それが可能になるまで本人がどれだけの苦労と工夫を重ねてきたのかは、本人以外なかなか知る由もありません。
目指すところが国内トップクラスのスーパーマッチョならば、そこのルートがハードワークであり、そこにヒントが隠されていると考えます。
きっと、「筋肉の発達はこの研究データーによると・・」ではないでしょう。
実際僕の場合、誰が見てもハードワークだということをどれだけ続けてきたのでしょうか。
ちょっとやってきつかったから、適当に正当化して元のぬるいワークに戻ってはいないでしょうか。
確かにマイナスと感じたことも多かったのですが、やりすぎの中に工夫が足りない部分はなかったのでしょうか。
最近は違いますが、僕は「やりすぎは逆効果」と強く感じ、いかにセーブするかばかり考えてトレーニングしていた年数はかなり長かったです。
そしてその年は仕上がりが過去一良く、突然県大会で優勝したものですから、「僕にはトレーニングのやりすぎは向いていない」と確信していた時期は長かったです。
しかし、それ以降パワーは落ち、筋肉が大きくなることはありませんでした。
そして11年ぶりのコンテスト復帰後、すべてを見直し、ボリュームを大幅に増やしました。
体ではなく、狙った筋肉に刺激を与えるような工夫もしています。
そして、約10年のプラトーを打ち破ったであろう今があるので、まだまだ成長できると思います。
しかし、「がむしゃらにやるほどに良い」というわけでは決してなく、「自分に合った最大限の努力」が必要だと思います。
「自分はもっともっとでかくなる」そう断言し、よりトレーニングに没頭することで、「自分にとっての最適解」がきっと導き出され、今より前進することができると思います。
まとめ
トップ選手のトレーニングはがむしゃらの根性論でやっているように感じることがあっても、ただがむしゃらにやっているのではなく、そこにたどり着くには決してあきらめず、人知れずたくさんの苦労を乗り越えてきた過程があると思います。
トップになる強いイメージを持つことで、そのための最適解が導かれます。
トップ選手はみなトップになるという意思を持ち、みなハードワークをこなしています。
きっとそこに今以上にバルクアップをする答えがあるのでしょう。
自分の筋肉の発達が思うようにいかず、ハードにトレーニングなどをできていないとしたら、もしかして、自分には無理だ、マッチョにはなれない、なってはいけない、と、自分に制限をかけてはいないでしょうか。
「自分はある程度のマッチョにはなる」「さすがに素質はないな」などと思っていたら、おそらくそこまでの成長で終わるでしょう。
トップの選手はなるべくしてなったのではなく、強い意志を持ち、自分を信じ、人知れず人一倍の努力をして、なったのかもしれません。
自分だって、同じ人間です。
有名どころの選手だけではなく、なにも自分がトップになってもいいのです。
自分もスーパーマッチョになってよい。
そんな許可を出すとともに、思うように体づくりが進んでいないのであれば、本当に心からマッチョになりたいのか、その気持ちが本物なのか、本気なのか、もう一度見直してみるのもいいかもしれません。