「飲むとムキムキ、魔法の薬!」
プロテインがそんなことを言われていた時代もありました。
しかし時代は流れ、プロテインは今や女子が愛用するほど一般的なものとなり、
「プロテインやってんのか!?」
「プロテインで偽の筋肉」
と言われることは耳にしなくなりました。
しかし、「飲むとムキムキ魔法の薬」は実在するのです。
「打つとムキムキ」のほうが使用しやすいのでしょうか?
それは「アナボリックステロイド」です。
ドーピング、筋肉増強剤のことです。
オリンピックでも国家ぐるみのドーピングが問題になっているよう、多くのスポーツはにドーピングの影が潜んでいます。
「ドーピングはバレなければオーケー」
「みんな使っているし、ドーピング検査が無いから公言しなければ証拠はないのでオーケー」
ですわね。
禁止されているにもかかわらず証拠を隠滅して使用したり、「暗黙の了解」のもと、ドーピングをして競技に挑む。
理想はあれど、現状そういうものです。
華やかに見えるスポーツの世界ですが、そこにはきっと、一般の人が想像するであろう「スポーツマンシップ」はないのかもしれません。
僕自身ボディビルトレーニングを長年続けています。
始めた頃の自分と比べれば体つきは相当変わりましたが、自分なんかよりマッチョな人は、ごまんといます。
まして、僕よりもトレーニング歴が短い人でも、僕よりマッチョはごまんといます。
そんな中、
「もう自分の限界がわかった。そろそろドーピングでもして、限界突破するか。」
そうならないのはなぜか。
「ドーピング禁止の大会に出場しないで、薬使ってとことんマッチョになったらいいんでない?マッチョになりたいんでしょ?」
そんなことを言われても、僕は絶対ドーピングはしません。
その理由をお話していきます。
結果よりも過程を楽しむのが第一
僕がボディビルを始めたのは、「他の人に勝つ」ためではなく「自分がどこまでやれるのか知りたい」からです。
マッチョになりたいのはもちろんですが、そこに勝敗を求めることはなく、あくまで自力でどこまで到達できるのかチャレンジしたいからです。
実験と評価の繰り返しを楽しむ
ボディビルに明確な答えはありません。
常にベストな成長を得るためにやることが皆同じであれば、そこに探求は生まれません。
「筋肉の発達のため一生懸命ウエイトトレーニングをし、バランスのよい食事を摂る。」
これにつきるのですが、ウエイトトレーニング一つにしても、個々に合ったフォーム、種目、セット数や追い込み加減、頻度、数多くのベストパターンがきっとあります。
やっていることに対する体の反応も人それぞれです。
食事にしても、食べる量やバランス、たんぱく質の摂取量、おなかが弱い場合はどうしたらいいのか、個々によって変わってきます。
似たようなことをしていても、どうして人によって成果に大きな差が出てしまうのか。
推測できることはありますが、それをみんな最大限に実践できるのか。
人にあった道、ペースがきっとあり、それが「人による」とり組み方になるのです。
何年やっても試行錯誤です。
しかし、そこにおもしろさがあり、確かな手ごたえを感じた時の達成感と喜びは、次のトレーニングへの活力、そして日々の充実感になります。
ドーピングをしていたら、何が正解で何が改善点なのか見えなくなってくる可能性が高いと思います。
使ったことないのでわかりませんが、極端な話何をやっても筋肉が発達していくのも善し悪しです。
自分のやり方がよかったのか、薬のおかげなのか、わからなくなってしまいそうです。
薬のおかげだとしたら、そこに試行錯誤の楽しさはあるのでしょうか。
筋肉はつけたいですが、単に筋肉をつければいいという話ではありません。
もちろん、ドーピングしている人が努力していないかといえば違うと思いますが、自分の力で変えていきたいと考えた時、ドーピングの力は使いたくないと僕は思います。
大会には出るけど目的は順位ではない
トップに近づくほどに変わってくると思いますが、僕の場合はボディビルコンテストに出てはいるものの、順位にそこまで固執していません。
僕の目指すところは「自分の満足のいく仕上がりかどうか」であり、他の人がつける順位に関しては「お任せします」という感じです。
もちろん順位が良いに越したことはありませんが、「仕上がり悪かったけどなんか上位に行った」より、「仕上がりは完ぺきだったけどビリだった」のほうが、満足度は高いと思いませんか?
どのようなアプローチをすればバッチリ仕上がるのか、その過程を楽しんでいると思います。
よって、減量シーズンは「苦痛」というよりも、「実験」ともいえるでしょう。
まだ自力で仕上げたことがないので道半ばですが、それも楽しもうと思います。
また、こっそりドーピングをしてコンテストに出場している人がいるとします。
それが誰かはわかりませんし、証明しようもないのですが、そんな可能性は常にあるのです。
そんな「アンフェア」を分かったうえで出場することも、目的が順位ではないことと言えると思います。
何が何でも勝ちたい、勝つためには手段を選ばない人は、こっそりドーピングしているのかもしれません。
もちろんズルはいけないと思いますが、そういう世界です。
副作用による健康被害
どのスポーツでも、やりすぎると健康を害します。
しかしそこまで到達できるのはきっとオリンピックに出るようなトップアスリートレベルの精神力の持ち主であり、僕のような一般人の精神力ではなかなか到達できるものではないと思います。
ドーピングにより筋肉は大きく発達しますが、「副作用」もまたあります。
特に海外の若いボディビルダーが心臓発作で急死する話は、よく見かけます。
死なないにしても、腎不全などの重い後遺症を患ったり、ガリガリに痩せて見る影もない引退後を過ごす選手もいます。
おそらくほとんどのトレーニーが感じていることと思いますが、「健康ありき」のボディビルです。
ボディビルに限らず、体が資本。
健康を害する危険性を知っていてわざわざドーピングをしようとは、僕は到底思えません。
自分の限界に挑戦をする過程を楽しむことだってできなくなってしまいます。
ボディビルは好きですが、僕にとってはそれだけが人生ではないのです。
ドーピングは勝利のために!
「勝つこと」が目的になってくると、仮にライバルたちがこっそりドーピングをしていたら、はなから勝負にはなりません。
勝つことはほぼ無理でしょう。
ドーピングありきの闘いの中では、馬鹿正直にやっても勝てない。
だから、禁止されているにもかかわらず、皆と同じくドーピングをする。
ドーピング検査をすり抜けるため、隠蔽薬を使用したり、サイクルを考えたり・・
あらゆる手を尽くして、検査を乗り越えます。
検査が「シロ」ならば、見た目がいかにもといった「状況証拠」はさて置き、「ドーピングをしていない証明」になるのです。
ドーピングをしないと勝てないのであれば、当然勝つために手段は選ばないでしょう。
スポーツマンシップや正々堂々なんて建前に過ぎません。
そして、優勝者インタビューで「あなたも努力すればきっとできる」と白い歯を輝かせて答えるのです。
勝てばよかろうなのです。バレなければ。
しかしそういう世界です。
大切なのは、「真実を話せ」と本人に突っかかるより、多くの人が「事実を知ること」だと思います。
「知っている」人は、わかっているうえで「おめでとう」と素直に称賛しています。
すごいですねと言われてウソはつきたくない
ドーピングをして筋肉を発達させているにも関わらず、「頑張ればこうなります」と言いたくはありません。
「そういう世界」と言ってしまえばそれまでですが、誰かに褒められた時、僕ならば良心の呵責に耐えられないと思います。
ちなみに僕はドーピングを隠している人に否定的なものはありません。
そういうシステムになっているのが現実ですから。
もちろん、ドーピングの無い世界、スポーツになればいいと思います。
そのためには、知らない人は「知る」ことが必要になってくると思います。
ちょっと言い方がきついかもしれませんが、「知る」人が多くなるほど、「あいつはドーピングをしているから今の地位にいるんだ。みんなは真実を知らないんだ」などと苦言を呈する人も減ると思います。
「やっかむ」気持ちも分からなくもありません。
「ズル」をして栄光を手にしているのに、しらを切っているのを知っているからです。
そして「ズル」を知らない多くの人が、その人のノウハウを聞いて真似をする。
100%素晴らしいと称賛する。
「知っている人」は、「ドーピングを隠して多くの人を結果的に騙している」それが許せないのだと思います。
しかし、「ズルを知る」人が増えれば、そんなこともなくなってくると思います。
例えば、ボディビル初見の人が「すごい!だけどステロイド使っているよね」と当たり前に言っている世の中になれば、やきもきする人も減ると思います。
今はまだ「ドーピング」についてよく知らない一般の方が多いのです。
ドーピングをするしないに個人の選択はあっても、善悪はありません。
ドーピングは身近であることを知ることで、受け止め方も変わってくると思います。
そういう世の中ですので、理想を語ってもなかなか変わることはないでしょう。
そんな周りの環境よりも、僕は自分のことに集中したいです。
戦地の真ん中で戦争反対と叫んでも、鉄砲は降ってくるのです。
まとめ
僕がドーピングをしないことは、生涯を通して「挑戦」したいからです。
己の力だけで体を変えていく挑戦。その過程を楽しみたいのです。
ドーピングには副作用もついてきます。
僕はずっと健康でありながら、体作りを追及していきたいのです。
人より上の順位に立てればいいとは思いますが、それだけが目的ではありません。
勝てばよかろうなのだと、こっそり「ズル」をするのは嫌です。
勝利よりも、探求を選んでいます。
その結果、今よりもマッチョになれれば幸いです。
これからもずっと、筋肉道の探求は続きます。
そこに、ドーピングの必要はありません。